
11月11日(土)、木枯らしが吹き荒れる中、鶴岡市立羽黒第一小学校の閉校式が開催されました。
明治政府による学制発布を受け、明治7年に「手向学校」として創立して以来、「大東学校」「大東国民学校」等と名称を変えながら144年の歴史を刻んだ小学校も、少子化の流れ中で、来年度より隣の羽黒第二小学校への統合が決まりました。

(写真:齋藤三郎氏撮影)
閉校式では、全校児童と教職員に加え、地域住民や卒業生ら約300人が見守る中、鶴岡市教育庁の加藤忍氏による「閉校宣言」が読み上げられました。集まった人たちは皆、閉校の事実を知っていたにもかかわらず、改めて厳かに宣言されると、複雑な思いに駆られたようです。その後の校歌斉唱では、高らかに歌い上げる児童達とは対照的に、胸いっぱいで声を詰まらせた大人たちが多かったと聞きました。
式典のあと、在校児童達によるアトラクション『音でつむぐ感謝の思いと未来への決意』として、児童によるスクールバンドの演奏と合唱などが披露されました。
全校で49名という少人数ながら、スクールバンドの演奏も合唱も、参列者が口々に称えるほどすばらしいものでした。
日頃から児童達はそのほかにも教科の学習のみならず、地域への理解と共感を深め、様々な地域行事に参加し、さらにスポ少にも多くの児童が取り組むなど、小規模校の弊害を感じさせない活躍を続けています。児童達の歌声には、今後もきっと力強く活躍していきそうな予感が満ち溢れていました。
その後、校庭に移動し「記念碑」の除幕式が行われました。
「大東学校記」「校歌碑」と並び、末永く地域と住民の行く末を見守ってくれることでしょう。
引き続き、体育館に戻り「思い出を語る会」の開会です。
遠方からの多数の参加者を含め、約200人の老若男女が酒を酌み交わし、母校の思い出はもちろん、未来への希望を語り合いました。
この日、母校の校歌を歌い、児童たちの姿を見つめ、思い出や希望を語り合う中で、「大東」や「手向」についての思いを新たにしたのは私だけではなかったと思います。
「閉校式」を単に学校の幕引きに終わらせず、地域の未来と真剣に向き合うきっかけとしなければならない、そんなことを感じました。
「閉校式典」、「語る会」の開催にあたりご尽力くださった皆々様に心より感謝申し上げます。

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