羽黒山スキー場安全祈願祭
12月12日(金)、羽黒山スキー場の安全祈願祭が行われました。
前夜からの降雪で、ゲレンデにはうっすらと雪に覆われていました。
祈願祭は、佐藤鶴岡市長、五十嵐議会議長を始め、多くの来賓・関係者の参列のもと、出羽三山神社の佐藤権禰宜を祭主として行われました。
私も、羽黒町観光協会、出羽商工会を代表して玉串を奉納し、シーズン中の安全を祈念して参りました。
羽黒山スキー場のオープンは12月20日(土)です(詳細は⇒こちら)。
多くの皆様のご来場をお待ちしております。
12月12日(金)、羽黒山スキー場の安全祈願祭が行われました。
前夜からの降雪で、ゲレンデにはうっすらと雪に覆われていました。
祈願祭は、佐藤鶴岡市長、五十嵐議会議長を始め、多くの来賓・関係者の参列のもと、出羽三山神社の佐藤権禰宜を祭主として行われました。
私も、羽黒町観光協会、出羽商工会を代表して玉串を奉納し、シーズン中の安全を祈念して参りました。
羽黒山スキー場のオープンは12月20日(土)です(詳細は⇒こちら)。
多くの皆様のご来場をお待ちしております。
小春日和に恵まれた11月23日(日)、羽黒山山頂の三神合祭殿において開催された新嘗祭に参列してきました。祭殿には多くの関係者や、篤信者が参列していました。
新嘗祭は、その年の収穫を祝うとともに翌年の豊作を祈願する神事であり、出羽三山神社では5月8日の祈年祭、7月15日の花祭と並んで例大祭とされています。
11時の祭典に先立ち、参列者の代表として、佐藤聡新市長が挨拶をされました。
祭典では、阿部宮司による祝詞奏上のあと、倭舞(やまとまい)も厳かに奉じられました。
神事の後の直会が開催された斎館の門前には、「冬の峰」で百日の行に入られている手塚・高城両名の名前を記した梵天が立てられていました。
その斎館をはじめ、羽黒山山頂では冬支度がだいぶ進んでいました。
全山雪に閉ざされる日がそこまで近づいている羽黒山の、穏やかな新嘗祭の一日でした。
昨日(8月25日)からの羽黒派修験(羽黒山荒澤寺正善院主催)につづき、本日(8月26日)からは羽黒派古修験道(出羽三山神社主催)の山伏修行「秋の峰」が始まりました。
それぞれ7日間の日程で行われる山伏修行で、羽黒派修験では『十界修行』を通して『擬死再生』を果たし、『即身成仏』の山伏となることをめざすとされ、また、羽黒派古修験道では仏教色を避け、開祖蜂子皇子の修行の道を受け継ぐものとされているようです。
ここ手向でも30度を超える残暑の中、それぞれ羽黒山中の籠堂に入っていきました。
入峰者の皆さんの満願成就をお祈りいたします。
コロナ禍の2000年、突然の月山線路線バスの休止を受けて「出羽三山精進料理プロジェクト」が急遽企画・実施した「月山貸し切りタクシー」。その後も路線バスのない日の二次交通対策として5年間にわたり実施し、多くのお客様にご利用頂いて参りました。
本年からは実施主体を「羽黒町観光協会」に移し、協会会員施設宿泊者に対象を広げて実施いたします。
2025年の実施期間は7月~8月とし、庄内交通の路線バスの運行のない日に上り(7:30,15:00)・下り(8:30,16:00)それぞれ2便ずつ運行します。料金は据え置き、二人以上の場合は2500円、一人の場合は4000円です。乗り合いが基本となります。前日16:30までに、宿泊施設を通じてお申し込み下さい。
詳細は下のチラシでご確認ください。
お問い合わせは当館または羽黒町観光協会(電話0235-62-4727)にお願いします。
日本全国、6月にしては珍しい猛暑が続いていますが、皆様、元気にお過ごしでしょうか。
ここ羽黒山の門前町手向(とうげ)でも30度に迫る(超える?)暑さが続いています。
多聞館の外壁等の改修工事に携わっていただいている職人さんたちも、扇風機の付いたジャケットを着るなど、それぞれに暑さ対策を施し、適宜休息や給水をしながら作業して頂いています。
そんな中、業者さんに「あの綱、どうします?」と聞かれたのが、軒下にかけてある「松例祭引き綱」です。
大晦日に羽黒山山頂で行われる「松例祭」(詳しくは→こちら)に参加した若者が一度だけ頂くことができるもので、頂いた綱を写真のような形にまとめて軒下に吊り下げ、その家の魔除け・守り神にするものです。
当館の正面2階の軒下に下げてあった引き綱は、私の祖父である土岐多聞が若かりし頃に頂いたものですが、祖父が何歳のときに頂いたのか、記録はありません。ただ、祖父が今生きていれば122歳であることから、100年前後の歴史があると考えられます。
そんな歴史を考えれば、工事のために一旦降ろしても、完了後にはまた元の場所に戻すのが良さそうなのですが、実はこれまでも何度か綱を縛っている縄が切れたり窓掃除の際に藁くずが飛び散ったりと、結構やっかいな存在になっていました。そこで、この際、思い切って処分することにして、業者さんに依頼しました。
100年物なので祭りのときに比べればだいぶ軽くなっているでしょうが、それでもかなりの重量があるようで、業者さんは縄を切って、綱引きの綱のように伸ばして降ろしていました。
100年にわたって当館を護ってくれた引き綱に感謝しつつ、処分も業者さんにお願いしました。
当館の玄関には私が2001年に頂いた綱が飾ってあります。
この引き綱が、これからも多聞館を護ってくれることでしょう。
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