仙台管区気象台は8月1日(木)、山形県を含む東北南部が梅雨明けしたとみられると発表しました。
平年より8日、去年よりは10日も遅いということです。
梅雨の終わりに東北地方を襲った集中豪雨では、ここ庄内地方にも甚大な被害をもたらし、今なお復興に至らず不自由な暮らしを余儀なくされている人も数多くいらっしゃいます。心よりお見舞い申し上げます。
当館では、すぐ脇を流れる堰が溢れ、昼夜二度、床下浸水となりましたが、幸いその程度で済みました。
国内各地はもちろん、海外からも心配してくださった方々から多数ご連絡を頂き、本当にありがたかったです。
この豪雨に前後して、宿泊予約のキャンセルが多数入りその対応に追われる一方、梅雨明けを見越した予約もにわかに増え、八月は客室のほぼ8割が予約で塞がりました。
大正時代の古い建物、襖や障子での仕切り、鍵は無し、エアコンも無し。
そんなタイムスリップしたような当館を、多くのお客が出羽三山への宿として選んでくださっていることに心から感謝申し上げます。お客様にとって満足のいくご宿泊となるよう精進して参ります。
豪雨の影響でダメージを受けた月山~湯殿山の一部登山道も早急に復旧したとのことです。
夏空の下、月山・羽黒山・湯殿山、出羽三山にぜひお越しください。
羽黒山方面から月山八合目(弥陀ヶ原)駐車場に至る県道211号月山公園線(通称「月山道路」)は冬期閉鎖中ですが、令和6年6月29日(土)午後3時に閉鎖が解除・通行再開されるとのことです。
山形県のHP⇒https://www.pref.yamagata.jp/337073/20240625gassankoensenkaijo.html
今年は道路の一部崩落に伴う工事もあり、通行再開が例年よりも遅く7月1日の月山開山祭ギリギリになってしまいました。神社や山小屋などでお客様を迎えるための準備に大きな影響が出たことはもちろんですが、残雪の弥陀ヶ原や山頂付近のクロユリなど、この時期にしか見られない魅力も多いことから、観光的にも大きな損失だったと思います。
県内の他地域の山岳道路はゴールデンウィーク前に開通しているのに・・・との思いを禁じ得ません。
とはいえ、関係者の皆様のご尽力により無事開通できることに感謝しつつ、シーズン中の交通の安全と賑わいを祈念したいと思います。
出羽三山、月山に多くのお客様がお越しくださいますようお待ちしております。
[2024年(令和6年) 出羽三山精進料理プロジェクト宿泊者限定
『月山貸切タクシー』運行のおしらせ]
好評につき、2024年(令和6年)も実施します!
諸物価高騰の中ですが、料金を据え置きます!
・7~9月の路線バス【月山線】の運行がない日(カレンダー黄色の日)に事前予約制で運行
・出羽三山精進料理プロジェクト参画施設に宿泊されるお客様が、宿泊施設を通じて前日18:00までに予約・支払い(現金のみ)
・乗車区間は各宿泊施設⇔月山八合目の上り(7:30発)または下り(16:00発)(1泊につき1乗車)
・料金は2人以上でお申し込みの場合は@2500円(1人で申し込みの場合は@4000円)
・乗り合い・定時運行が原則。ただし乗車人数、乗車時刻については申し込み状況により可能な範囲で柔軟に対応します
・タクシーの台数に限りが有るため、申込みをお受けできない場合もあります。ご利用を希望される方は、できるだけ早めに宿泊先にご連絡ください。
※本事業についてのお問い合わせは、出羽三山精進料理プロジェクト事務局(土岐)まで
電話(090-1495-5571)かメール(toki-a@blue.plala.or.jp)にてお願いします。
(画像は羽黒町観光協会のHPより)
昨年から屋根の葺き替え工事が行われていた国宝羽黒山五重塔でしたが、冬期間は一旦工事が中断され、足場も外されていました。
先日より残りの工事のために足場が設置され、改修工事が再開されます。
工期は九月末まで、主に下部二層の屋根の吹き替えが行われます。中程まで足場が組まれてはいますが、見学はできますので、国宝建築の杮葺(こけらぶき)という伝統工法の作業に触れられるかもしれません。
羽黒町観光協会のHPでは随時、工事の進捗状況をお伝えしておりますので、どうぞご参考になさってください。
(重要!)
令和5年度の松例祭は、概ねコロナ禍前の形式に戻して開催されるようですが、諸事情により変更される点もあるようです。
特に、おにぎり、酒の振る舞いは行わないとのことですので、ご注意ください。
変更点を踏まえて、ここに松例祭の概要を御案内いたします。
羽黒山松例祭「大松明行事」は平成23年3月、
国の重要無形民俗文化財に指定されました。
毎年、大晦日から元旦にかけて催行される『羽黒山松例祭』。
複数の場所において同時に進行していく祭りのためか、全体像を捉えにくい面もあるようです。
松例祭を見学される方のために、祭りの概要や見所などを簡単にご紹介します。
1.松例祭とは
天下泰平・五穀豊穣・家内安全などを祈願する羽黒山の例祭である松例祭。
その起源には諸説あるが、数百年の昔から修験者の「験(ため)しくらべ」あるいは地元住民たちの「歳夜祭り」として受け継がれてきたものが起源といえる。
現在の「松例祭」の名称と祭りの原型ができあがったのは、明治維新の混乱と神仏分離による組織制度の改変をへて祭りの復活が果たされた明治12年以降である。
松例祭の主役は「位上」と「先途」と呼ばれるふたりの松聖(まつひじり)である。松聖は百日間の修行(「冬の峰」)に臨んできた行者である。
祭りはふたりの松聖の修行の成果(験力)の競い合いと、松聖に付き従う位上方・先途方の若者衆(上下各四町)の競い合いとして庭上(合祭殿前の広場)あるいは補屋(しずらや=歴史博物館前の小屋)において進行する。
(左から)庭上(ていじょう)、補屋(しつらえや)、三神合祭殿
さらに三神合祭殿内において験競べ(げんくらべ)の神事がとりおこなわれ、年が明けると国分け神事や火の打替神事が続く。
祭りの終了により百日行の満願を迎えた松聖は小聖や若者頭らとともに山を下る。
2.松の勧進
冬の峰(百日行)に入った松聖は、松例祭をまかなう浄財を募るため、小聖らを従えて庄内一円を勧進して回る。
街に響き渡る法螺貝の音は庄内の初冬の風物詩ともなっている。
3.松例祭の日程 (時刻はおおよその目安で、多少前後する場合があります)
☆12月30日 ⇒12月31日午前中に変更
『大松明まるき』(斎館、庭上)
各町の若者の代表が羽黒山山頂に上り、悪鬼・邪悪の象徴とされるツツガムシを模った大松明を作り上げる。
斎館で松聖によるお祓いを受けた若者達は大松明の材料となる綱・網・簾などを斎館から山頂まで担ぎ上げる。
担ぎ上げた材料と、あらかじめ用意されている「カクマ」と呼ばれる枯萱をもちいて、巨大なツツガムシを作る作業は上四町と下四町が二手に分かれて、早さと出来ばえを競いながら行われる。
15:00頃 ⇒12:30頃 『松の礼』と『榊供養』(庭上)
大松明が出来上がると松聖が各々松打という役者と共に 登場し、大松明に向かい祈願する。
祈願終了と同時にふたりの松打は大梵天まで駆けていき、御幣を吊るし上げる早さを競う(『松の礼』)。
その後、参加者一同はお神酒と昆布、丸飯を頂く(『榊供養』)。
☆12月31日
9:00頃~ 『早上り』
昔は松例祭で使われる酒などは、若者達が手向の里から羽黒山頂まで担ぎ上げていた。
その名残もあり、31日早朝から、祭りに参加する若者の一部が『早上り』として補屋に詰めている。
補屋を整えるほか、近年は灯籠をともすカマクラ作りも行っている。
補屋は内部がふたつに仕切られており入り口も分かれている。向かって右側が位上方、左側が先途方。
位上方・先途方には上四町と下四町の若者衆が付き従うが、いずれの側に付くかは年によって異なる。
15:00~ 『綱まき神事』(庭上)
大松明の一部を解体し、その綱を切り刻んで神聖な「切り綱」とし、一般観客に向かってまく。
観客は争ってこれを奪い合い、手に入れた切り綱を家に飾り、火防や家運繁栄の守りとする。
子供や女性には「相撲」で切り綱の獲得を争わせることも。
その後、大松明は完全に解体され、これによりツツガムシ(=悪鬼)は滅ぼされる。
(随時) 『腹ごしらえ』~親玉(補屋)⇒ 注意!令和5年度はおにぎり、酒などの振る舞いは行われないとのことです。
補屋の位上方と先途方をつなぐ通路のそばでは常時、神社の職員達により大釜にご飯が炊かれ、ホウキの実をまぶしたおにぎり(=親玉)が、漬物などと共に振舞われている。
若者衆はもちろん、見物客でも自由に頂くことができる。
16:00 『除夜祭』(合祭殿)
17:00 『神拝』
補屋において位上方・先途方それぞれの松聖と若者衆が同時に祈願を行う。
いよいよ祭りも本番を迎える。
18:00『松例祭本殿祭・蜂子神社祭』(合祭殿・蜂子神社)
18:00 『大松明まるき直し』(庭上)
再度、大松明を作り直す。
ツツガムシ(=悪鬼)の再生(復活)を意味する。
ここでの作業は、上・下の各四町がそれぞれ割り当てられた作業を行いながら、早さと出来栄えを競う。
19:00 『綱さばき』(補屋) ⇒令和5年より廃止されます
大松明を引き出す際に用いる四本の引き綱は、取り付ける位置により優劣がつけられている。
位上方と先途方それぞれにおいて、若者頭たちが「大椀」で酒を酌み交わしながらどの綱を引くかの交渉を重ねる。
20:30 『砂はき渡し』(補屋)
各町の綱付・綱延の任に当たる若者が神前にならび、雪を掘る道具である「砂はき」を受け取る儀式。
大椀の酒を三度空けると一斉に立ち上がり、「勝った!勝った!」といいながら飛び跳ねる。
21:00 『検縄行事』と『砂はき行事』(庭上)
庭上に若者一同と大目付・役者衆がそろう。
はじめに大目付が三十三尋(ひろ)の縄をはかり、これを位上方の大松明から伸ばした場所に印をつける。
同様に先途方にも印を付け終えると、双方の綱付・綱延たちは一斉にその場所に砂はきで穴を掘り、ただちに砂はきを守りながら補屋に向かって走り帰る。
三十三尋は羽黒山の領国を意味し、掘った穴は大松明を引き出し焼き払う場所となる。
21:30頃 『出役・御定目(ごじょうもく)』(補屋)
大目付・役者が神前に現れ、若者頭たちに向けて『御定目』という決め事を申し渡す儀式。
神事の公正を促すもの。
22:45頃 『験競べ(げんくらべ)』(合祭殿)
12人の山伏が左右に分かれて、「烏飛び」と「兎跳ね」の験競べを行う。
烏は羽黒権現の使い(=太陽)をあらわし、兎は月山権現の使い(=月)をあらわすという。
勝敗が決した瞬間に吹かれる法螺貝(五番法螺という)が庭上の大松明を引き出す合図となる。
23:00頃 『大松明引き』(庭上)⇒ 令和5年度より、上四町・下四町の構図が変更され、上二町・下二町として再構成されるようです。それに伴い、引き綱の数などが変わるかもしれません。
庭上では大松明が燃え盛り、全ての若者が引き綱を手に出発の合図を今や遅しと待っている。
合祭殿内で五番法螺が吹かれ、入り口の大提燈が左右に大きく振られるのが合図。
合図と同時に位上方・先途方双方の大松明に四本ずつの引き綱がつけられ、一斉に大松明が引き出される。
大松明は先の砂はき行事で掘られた三十三尋先の穴まで引かれていき、そこで立てられる。
より早く、より勢いよく燃え上がったほうが勝ちとされる。
位上方が勝てば翌年は豊作、先途方が勝てば豊漁と占われる。
大松明を引き出した後の引き綱は大松明から離され先を競って補屋まで引かれていく。
その後、若者衆に担がれて山を下っていく。
24:00~ 『国分け神事』と『火の打替え神事』(庭上)
『国分け神事』は羽黒山と熊野、彦山の領国を定める検地の神事。
定尺棒とよばれる丸太をはさんで、所司(=羽黒権現)と4人の山伏(熊野三所権現と彦山権現)が独特の所作と問答を繰り広げる。
『火の打替え神事』は新たに清浄な火を切り出す神事。
四人の役者が高さ12尺ある大松明(鏡松明)の火をそれぞれの松明に移し、「松明行事」をおこないます。
その後、役者とともに松打が鏡松明の周りを3度回り、回り終えると同時に走り出し、稜持(かどもち)の持つ火皿に火打石と火打ちかねで新しい火をきりだす。その遅速でやはり、豊作と豊漁が占われる。
勝敗の結果は初詣客で賑わう合祭殿で待つ宮司に伝えられる(『ご披露』)。
25:00頃 『昇神祭』(補屋)
火の打替えの勝敗の結果は補屋で待つ松聖にも知らされる。
その報告を受けると『昇神祭』が行われ、最後に松聖が百日間守り続けてきた『興屋聖』の中の五穀を、松聖自らが肩越しに土間にまく。
ここに冬の峰・百日行の満願を迎える。
満願を成就した両松聖は、参集殿において宮司をはじめ神社役員らの労いを受け、さらに斎館において『にしの寿司』という精進落しの宴を経た後、小聖・若者頭らとともに雪深い羽黒山の参道を自宅に向かって下っていく。
☆1月1日
午前 『綱のし』(各町)
大松明引きで使われた引き綱(8本)は各町の綱延の任にあたった若者の自宅に運ばれる。
翌朝、若者達により成形された引き綱は家の軒下などに掲げられる。
手向では昔から『若者は嫁を取って半人前、綱をのして一人前。」といわれるほど、綱をのす(=かける)ことは名誉なこととされてきた。
こうして「のされた」綱は、次の代の若者が綱をのすまでその家の魔除け・守り神として飾られる。
4.交通の案内
令和5年度の松例祭臨時バスは運行されません。
なお1月1日~3日は正月の特別ダイヤになりますので、初詣などにバスでお出かけの際は事前にご確認ください。
庄内交通HP⇒http://www.shonaikotsu.jp/
☆お車の方へ
山頂の駐車場が満車の場合は、第二・第三駐車場の利用になります(いずれも無料)。
誘導員の指示に従ってください。
特に午後10時~午前2時頃は例年、道路も渋滞しているようです。
時間に十分余裕を持ってお出かけください。
☆徒歩の方へ
石段を上って頂上へ向かう方もいらっしゃることでしょう。
今年は積雪が少ないとはいえ、足元が暗く、凍結している場合もありますので、十分お気をつけください。
(先途松聖:神林聡賢氏、位上松聖:小関智勇氏)
小春日和となった11月15日、羽黒山の門前町手向(とうげ)地域を皮切りに「松の勧進」が始まりました。
この行事は、大晦日に羽黒山山頂で行われる松例祭の費用をまかなうために、山伏たちが庄内一円を勧進して回るものです。
初日に当たる11月15日には、「冬の峰」と呼ばれる百日の行の最中にあり、松例祭の中心となる二人の「松聖」が、小聖と呼ばれる山伏を従えて手向地区内の末社を祈願して回ります。
また、同時に山伏たちが浄財を勧進して手向の家々を回りました。
当館にも位上・先途の両松聖の命を受けた二人の山伏が訪れ、景気よく法螺を鳴らしてくださいました。
昨年まではコロナ禍の影響で、松例祭は規模を大幅に縮小して行われましたが、今年はだいぶ元の形に戻すと聞いています。祭りの担い手となる若者の減少などもあり、難しいことも多いでしょうが、地域の関係者の力を合わせて松例祭を継続していって欲しいと願っています。
そのためにも地域の皆様には、松の勧進へのご協力をよろしくお願い申し上げます。
8月25日(金)の羽黒派修験道の秋の峰(羽黒山荒澤寺正善院主催)につづき、26日(土)には羽黒派古修験道の秋の峰(出羽三山神社主催)が始まりました。それぞれ7日間の日程で、羽黒山中に篭りながら、山掛けや勤行などの修行を行います。
(羽黒派古修験道)
ここ3年間はコロナ禍の影響で、どちらの峰入りも一般の募集は行わずごく少数の方々で行っていましたが、コロナも大分治まった今年は、一般からの募集も再開されました。それでも出羽三山神社の峰入りは定員を半分に減らし、79名で催行されたとのことです。
4年ぶりに山伏たちが列をなし、法螺を吹き鳴らしながら門前町手向(とうげ)を通って山に入っていく光景を見ていると、なんだかホッとした気分になります。秋の峰入りが羽黒の修験道だけでなく、手向の精神的な支柱であるということなのでしょう。冬の峰・松例祭も同様で、今年はコロナ禍前の状態に戻れるか、気になるところです。
今年は厳しい残暑が続いていて、なかなか大変な修行となりそうです。
入峰者皆様の満願成を祈念しております。
最近のコメント